新しい世界史の副読本

認知心理学:「学習」はどのようになされるのか

世界史はどうすれば憶えられるのか

高校入試と違い、大学入試では覚える用語が格段に増えます。中学校の教科 書 ではせいぜい数百の用語しかありませんが、高校教科書で は巻末にある見出し語の数だけでも、 3000~4000近く。一説には難関大学だとそれだけでは足らず、6000~8000近く必要だそうです。これに加えて難関大学に は論述問題があります。

これだけの用語をどうすれば覚えられるのでしょ うか。一般的に信じられてい るように、すべて丸暗記するしかないのでしょうか。そう ではないというのが、このサイトの中で最も言いたい事です。その解決法でありヒントであるのが「認知心理学」です。 

認知心理学

「認知心理学」というものは一般的にはなじみがありませんが、心理学の一 分 野で、人間がいかに学習をするのかを科学す る心理学の一分野です。要するに、「学習」をと言うものの正体を分析し教育などに応用しようというもので、心理学の中では比較的新しい分野です。私も、も ともと教育心理学には学生時代から興味がありましたが、現在追手門学院大学の東正訓先生と知り合ってから勉強するようになりました。 その観点から教科書というものを見ていきたいと思います。まずは記憶力について分かっていることです。 

なぜ覚えられるのか

まず次の昔話についての問いに答えてください。

1.赤ずきんちゃんはお母さ んの 言いつけで、どこに行きましたか。
2.浦島太郎が竜宮城から帰る、乙姫様からもらったものは何ですか。
3.桃太郎が鬼退治に行くとき、家来にしたのは犬と猿と、あともう一匹は?
4.夏にアリがせっせと働いていた時、キリギリスは何をしていたか。

答えは1おばあさんの家 2玉手箱 3キジ 4歌っていた です。どうで し たか。けっこう覚えていたんじゃないでしょうか?たぶん 十年以上前に読んで以来のものなのに。実はこれが人間の記憶力の不思議なところなのです。幼児期は記憶力はあまり発達していないので すが、それでも長い間、記憶できるものです。

人間の記憶力は、脳の中の「海馬」と呼ばれる組織が担当しています。海馬とは変な名前ですが、これはこの組織がタツノオトシゴ(漢字 で「海馬」)に似ているのでこの名前がつきました。実は記憶力には幾つかの種類があるのですが、そのうち学習に関係があるのが「短 期記憶」と「長期記憶」です。目や耳から入った情報は、まずこの海馬に送 られ、ごく短期間だけ保持されます。これが短期記憶と呼ばれる種類の記憶で、名前の通り非常に短 期間、数分から数十分くらいしか保持できません。その後、その内容を捨てるか残すかこの海馬が判断するのです。(最近は短期記憶の概 念を拡張して「ワーキングメモリー」と言っていますが、大体同じと考えて下さい)

海馬

心理学上の実験で、海馬がもっとも敏感に反応したのは、喜怒哀楽つまり感 情 が絡んだ場合でした。人間は嬉しかったり悲しかったり、 感動したりといった印象的な場面というのはなかなか忘れられないものです。それは海馬がその時活発に働くからなのです。そこでこれを 応用して、感情を働かせる、つまり興味や関心がわくようにすることが、一つ記憶にとって重要な要素です。つまり教科書や授業とは、興 味や関心がわくようなものでなくては覚えられないと言うことです。逆に言えば、淡々と進む授業とは時間のムダでしかないと言うことで す。

記憶の構造

なぜ忘れるのか

では今度は、なぜ人は忘れるのかと言う点です。

次のグラフを見て下さい。これは今から百年ほど前のドイツ人のヘ ルマン=エビングハウスHermann Ebbinghaus)が発見した、有名な「忘 却曲線」です。彼は 被験者となった学生相手に無意味な単語を十数個覚えさせ、それがどれくらい残るのかという実験をしました。その結果がこのグラフです。
これは言わば丸暗記的な能力のグラフです。注意して欲しいのは、この実験は「無意味な単語」を覚えさせることが目的でした。そしてそ の後今日まで100年間の研究の結果、記憶力は対象によって結果が違ってくることがわかってきました。なぜかというと、それが先ほど も触れた長期記憶と関わっているからです。

忘却曲線

長期記憶とは、先ほど触れた、海馬を通過できた情報が脳の中に残されたも の で、その名の通り非常に長期にわたって記憶されます。そ れは、興味や関心が湧くと大いに促進されますが、そうでないものは排除され易いのです。また頑張って丸暗記しても、忘却曲線のように 時間が経つと共に忘れ去られるものなのです。下でも触れますが、「忘れる」ということは「関心が無い」というのと同じ意味なのです。

長期記憶は学習では最も大きな役 割を果たします。この機能をうまく働かせられれば、一生学習する必要があるといわれる現代において、大いにあなたの力になるでしょ う。

では次のグラフを見て下さい。記憶力の中には、単に語句を覚える「丸暗記」以外 に、 意味のある語句や文章を覚える力というのもあります。

記憶力の変化

丸暗記の記憶力はこのグラフの点線のように、だいたい8才~9才がピーク で す(ピークの時期は人によって少しずつ違いますが)。ですから 言葉遊びのゲームなどでは、大人はなかなか子どもに勝てません。しかしそれでも老人よりは10代のほうがはるかに丸暗記力は強いものです。

一方、実線のグラフは年齢別に1~2分ほどで読める短い物語文の「内容」 を どれくらい覚えていられるかという実験の結果です。丸暗記力の ピークが8~9歳なのに対して、物語文の記憶は20歳~30歳がピークです。言葉遊びゲームでは小学生でも大人に勝てますが、意味の ある長い文章を覚えることに関しては、子供はかなわないということです。

ここで大事なことは、高校生の年齢で鍛えなければならないのは、この意味 の あるものを記憶する力のほうです。数学や理科なら公式の意味、社会なら用語そのものはもちろん、その意味や背景が理解するのが得意に なる年齢なのです。丸暗記のような力はまだ必要ですが、衰える一方で頼りにはならないのです。


ちなみに、ほんの10年ほど前までは、脳の神経細胞は人間が生まれてから は 減る一方と思われていて、記憶力も中年くらいからは落ちていく一方 だと考えられていました。しかし現在の研究では、大人になっても神経細胞が生まれることや、中年以降でも記憶力が高まることがわ かっています。

たとえば次は、2006年に発表されたオ クスフォード大の研究の例です。

ロンドン市内のタクシー運転手には職業的な年齢制限があって、ほとんどの 人 が四十才以上 から働き始めています。ところが、彼らが一般人と比べて地理的な記憶能力が非常に高いことが分かってきました。そこである研究者が彼 らの脳を医療用立体スキャナー(MRI)で観察すると、ほとんどの人が海馬が非常に発達していたのです。こうした研究事例が積み重 なったことから、現在では脳科学者たちは、脳は使い続ける限り能力が伸びるという見解に傾いています。つまり年齢が上がるごとに脳の 働きが鈍くなると言うのは単なる思いこみ、俗説にすぎないことがわかったのです(もちろん年齢の限界はありますが)。

ではなぜ年をとると記憶力が弱まると思われるようになったのか、その原因も分かっています。それは感情・関心の減退です。人は人生経 験を積むにつれて、初めての経験が少なくなります。そのため新鮮な感動を経験する機会も減ってしまいます。新鮮な感動の中には悲し かったり辛いものもあ るので、成長して人生経験を積んだ人は一般的にそうした冒険や失敗を避けるようになります。ここまでくればもう分かってきたでしょうが、失敗や冒険を避け れば、短期記憶が長期記憶に送られる際の重要なポイントである「感情の起伏」が減少してしまいます。これでは記憶力が減退するのは当 然なのです。年をとって賢くなること、すなわち毎日同じような生活を送り、関心や感動が薄れてしまう こと、それこそが記憶力減退の最大の原因だったのです。


ちょっと脇道にそれました。本筋に戻ります。 次のページへ>

 

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