アクティブラーニングという言葉は、2012年の中央教育審議会答申で使われて一気に有名になりました。今では知らない人はいないでしょうが、それまでは知る人ぞ知るといった風でした。
2018年3月に出された学習指導要領では、内容がグループ学習であるかのような誤解を避けるため、より明示的に「主体的、対話的で深い学習
」という表現に変わりましたが、覚えにくいために私は今でもこの言葉を使っています。もともと文部科学省でも「教員による一方向的な講義形式の教育とは異なり、学修者の能動的な学修への参加を取り入れた教授・学習法の総称。学修者が能動的に学修することによって、認知的、倫理的、社会的能力、教養、知識、経験を含めた汎用的能力の育成を図る。発見学習、問題解決学習、体験学習、調査学習等が含まれるが、教室内でのグループ・ディスカッション、ディベート、グループ・ワーク等も有効なアクティブ・ラーニングの方法である。」としていました。表現は変わりましたが、文部科学省や研究者のめざすものは変わっていません。
2016年9月にOECD教育革新研究センターから「学びのイノベーション――21世紀型学習の創発モデル」(Amazonに飛びます)が出版されました。これは、過去半世紀あまりの「Learning Science(学びの科学)」のエッセンスをまとめた内容になっています。内容も良く整理されており、この分野に興味を持って学んでいこうとする人にとって、格好の入門書にもなっています。ただ一つの欠点を除けば、ですが。
その「ただ一つの欠点」というのが、翻訳文の分かりにくさです。ほとんど全ページにわたって直訳調の文体で書かれており、元の英文を読んだ方がわかりやすいほどです。翻訳者はしっかりした方らしいので、何か理由があったのでしょうが、これでは所期の目的は達せられません。そこで無謀にも私が、職場の同僚の助けを借りながら、最も重要な部分である1章と2章を訳してみました。それが以下のリンクです。ただし念のため断っておきますが、英語の原文自体、心理学にある程度詳しい者には分かりやすいのですが、そうでない人にとっては分かりにくいものとなっています。そこで、下記リンクの訳文は、心理学の門外漢を意識した、原文の意訳となっています。また部分的に省略しています。意訳や省略は不正確になりがちで、原文の意図から外れた理解を生む可能性があります。また私の英語力や心理学の理解力にも限界はあります。それらを承知の上で、大意を知るという目的くらいで扱ってください。研究や正確な理解のためには、ぜひ英語の原文にあたってください。
原文: Innovating to learn, Learning to Innovate
抄訳:学びのイノベーション(1・2章のみ)HTML版、PDF版
この用語には、他にも長崎大学大学教育イノベーションセンターの山地弘起教授の定義では 「「思考を活性化する」学習形態を指します。例えば、実際にやってみて考える、意見を出し合って考える、わかりやすく情報をまとめ直す、応用問題を解く、などいろいろな活動を介してより深くわかるようになることや、よりうまくできるようになることを目指すものです。」とあります。この分かりやすい図を下に転載させていただきます。世の中に出回っているアクティブ・ラーニングの手法の解説や提案は、この図の一部だけを取り上げたものが多いように思われます。
さて次にアクティブ・ラーニングとくれば、今最も有名なのが、京都大学の溝上准教授でしょう。彼による分かりやすい説明が、ここ河合塾のサイトで見られます。また、大学教育におけるアクティブ・ラーニングについては、ここも非常に分かりやすいものです。これらのテキストを読むかぎり、アクティブ・ラーニングは、日本ではこれまであまりなじみのない、新しい授業スタイルであることがわかると思います。
最近この学習法について「21世紀型の学習法」「21世紀型の教育」という言い方がよく使われます。しかし私にはこの表現には、違和感があります。確かにこれは、日本にとっては新しい学習方法です。また確かに21世紀になってから広まった言葉には違いありません。しかし、昔から授業法の研究をしてきた者にとって、そうでないことは常識です。
これまで存在した授業形態に関しては、このサイトがうまくまとめておられます。20世紀前半まで世界中の高校では、「一斉授業」という形式が主流でした。それが変わり始めたのが1980年代です。
1970年代の石油危機以降、欧米は経済面で行き詰まります。なのに日本やアジアNIEsが危機を乗り越え、そして90年代になるとASEAN諸国が台頭してきます。こうした流れの中で、アメリカでは1983年に「危機に立つ教育」というレポートがまとめられ、危機感が生まれます。これを契機に教育改革が始まります。この時の改革は、おおざっぱに言えば卒業に必要な条件の厳格化と、学習時間や授業日数の増加、そして教員の待遇(とくに給料)と援助体制の改善でした。しかしこれは結局、レーガン政権時代の双子の赤字がもたらした財政難からうまく行きませんでした。
これに危機感を持った州や各学校、特に大学で採り入れられ.たのが、国立教育研究所が打ち出した、従来の教師中心ではない、学生を中心とした授業という授業形態でした。これがアクティブ・ラーニングの始まりです。とくに1980年代半ばにアーサー・チカリングとゼルダ・ギャムソンが大学の授業改善を目指して出した「7つの原則」(原題:Seven
Principles for Good Practice in Undergraduate
Education)は、アメリカの教育界に大きな影響を与え、それは高校にも広がっていきました。こうして1980年代から1990年代にかけて、アクティブ・ラーニングが広がっていったのです。
1990年代は冷戦終結後であり、アメリカがソ連・社会主義に勝利したと認識された時期です。アメリカの権威、そしてアメリカが舵を切っていた新自由主義の権威が高まった時期です。世界においても、アクティブ・ラーニング型の授業が注目され始めます。これに対し一斉授業型、旧来の知識伝達型の授業法の旗色は悪くなるばかりでした。日本でも、ごく一部の者はアクティブ・ラーニングに注目をしていましたが、まだまだ認知されているという状態ではありませんでした。
そんな折に、日本の教育界を襲ったのが、「PISAショック」です。2000年から始まったこのOECD主催の調査で日本は、初回こそ「お家芸」とされた「数学的リテラシー」がトップ、「科学的リテラシー」が二位であったのが、2003年がそれぞれ6位・2位、2006年が10位・6位と、回を経るごとに順位を下げていったと認識されました。ただし2000年調査と比べて2003年には9カ国、2006年ではさらに15カ国増えたことや、順位は確かに下がったが、マラソンで団子状態の上位グループ内で順位が入れ替わるくらいの差しかない事は指摘されず、マスコミのデータを読む能力(数学的リテラシー)が低いこと、いや実際には読み取っているのだろうが、それを社会に正しく伝える力が最大の課題と判明した調査でした。
しかしこの調査結果は、「失われた10年」に苦しんでいた日本にとって刺激的でした。参加国中、最上位集団に属しているにもかかわらず、「応用のきかない」学習から脱却せよ、「PISA型学力」を身につけさせよと、教育界への攻撃は産業界を中心に激しく行われます。それが2007年の「全国学力・学習状況調査」の実施につながりました。当初から、悉皆調査(全員に受けさせる調査)にする必要は無いのではないか、と言う批判がありましたが、それでも強行されました。そして(おそらく狙い通り)、「PISA型学力」への世論の関心が高まり、それに向けた移行が始まります。その上での2012年の中教審答申でのアクティブ・ラーニング移行という流れです。
ここで少し話は脱線しますが、この時の教育改革に、NTL(National Training
Laboratory)が示していた「学習ピラミッド」が大きな影響を与えた、と言われています。これです。
日本ではアクティブ・ラーニングを語る際に、この図が盛んに引用されています。私も、10年ほど前にアクティブ・ラーニングを知ったのと同時期にこの図の存在を吉田新一郎氏の著作で知り、非常に大きな影響を受けました。
もっとも、現在ではこの図には(特に数値には)、根拠がないことが分かっています。なのにこの図が広まった経緯については、明確なところは分かりませんが、ここに詳しく分析されています。
私も実際2005年ころに、吉田氏にメールで尋ねて教えて頂き、自分で調べてみました。当時すでにNTLのサイト内からは見あたりませんでしたが、2010年ころに、「根拠となるデータや研究を見つけることができなかった」と明記されていました(ただし今回、このページを書くにあたって確認しましたが、すでにNTLサイト内から削除されています)。個人的には、この図の学習方法の階層については間違っていないのではないかと思いますが、根拠のないものを説明には使えません。この図を引用することには、注意をした方が良いでしょう。
さて話をアクティブ・ラーニングに戻します。これはなぜ広まったのでしょうか。その最大の長所は、その名のとおり「学習に前向き(アクティブ)になる」そして「成績が向上する」と言うことです。
その詳細については、大手予備校の河合塾が溝上教授と組んで2010年から行っておられる「大学のアクティブラーニング調査」結果
http://www.kawaijuku.jp/research/activelearning/ や
北海道医療大学での臨床薬学実習における効果を示した
http://www.juce.jp/archives/ronbun_2014/07.pdf
東京工業大学での多人数教育の成果を示した
https://handbook.jp/whitepaper/wp_activelearning-tokyotech/
などが如実に表れている事例です。
他にアメリカの面白い例がサンノゼ州立大学で
http://www.juce.jp/LINK/journal/1401/pdf/02_01.pdf
見事に効果が表れています。
ただし、アクティブ・ラーニングに課題がないわけではありません。こうした大学の例では効果は明らかですが、大学の授業では補助教員、助手や学生アシスタントが教員を助けて授業を行う場合が多いと思います。
これに対し、高校以下の授業では教員は一人でやるのが普通です。そしてすでにアクティブラーニングの手法によって見事な授業をやっている先生はおられます。しかし、文部科学省が音頭をとって進める以上、全ての先生ができなくてはなりません。果たしてそれは可能なのでしょうか。
ここでアクティブラーニングの手法をまとめておきましょう。詳しくは上述した長崎大学の山地先生のサイトを見て下さい。
ここまで見てきたように、アクティブラーニングは既存の受動的学習と比べて効果があるのは間違いありません。しかし、全く問題点がないわけでもありません。以下の1~3は『ディープ・アクティブラーニング』(松下佳代編)において指摘されている問題点です。ちなみにこの本で触れられている点は、
ウィギンズとマクタイが指摘(2005年)したものです。これまでの講義中心の授業では、教科書を隅から隅まで教える網羅性が重視されてきました。それが新指導要領では、活動が中心とされています。しかしアクティブラーニングに不慣れな教員が、授業への参加度に注目しすぎると、結果として網羅性が犠牲になってしまいます。かといって、これまでの授業のように網羅性を重視しすぎると、アクティブラーニングが起こりません。授業においては網羅性と参加度は両輪であり、どちらかだけに注力するのは過ちです。しかし現実には古い過ちを正そうとするあまり、新しい過ちが起こることがあります。下図は授業中の生徒の行動を、外的活動(学習行動)と内的活動(思考)に分類したものですが、C・Dが「双子の過ち(Twin sins)で、学習効果が低いと言うことが分かっています。逆にA・Bが学習効果が高いものです。(OECD教育革新研究センター『学びのイノベーション』)
他にも次の点は、過渡期の現在としては、けっこう大きな問題点だと考えられます。これを2~3年で乗りきることができれば、アクティブ・ラーニングも定着すると思います。
さて最後に要約です。アクティブラーニングが学習、特に学習者が授業に参加しやすく、学習内容に取り組みやすい事に異論をはさむ人はいないでしょう。しかし、アクティブにするための授業形式の特徴が、学習内容や個人の認知タイプによってマイナスに働くこともあることが分かってきました。それ故、MITが下した判断のように、アクティブラーニングと講義、両方のタイプの授業を、内容や学生に応じて使い分けて提供するのが最も良い授業方法なのでしょう。