世界史読本と教科書の「書き方」の違いを理解してもらう ために、実際に文章を見比 べてもらいます。教科書は、全国の高校で採用の多いものを選びました。
まずは古代のところから、オリエントの地中海東岸のセム系3民族についてと、フェニ キア人の説明を抜き出してみました。ここを選ん だ理由は、世界史教科書の中で、初めてさまざまな民族が交錯して現れる部分と言うことです。つまり初めて直面するややこしいところだ からです。
■A社
地中海東岸のシリア・パレスチナ地方は,エジプトとメソポタミアを結ぶ通路として、また地中海への出入り口として、海陸交通に便 利であったため、前1500年ころからセム語系のカナーン人が活躍した。ついでギリシア・エーゲ海方面からの「海の民」の進出によ り,この地方を支配していたエジプト・ヒッタイトの勢力が後退したのに乗じて,セム語系3民族のアラム人・フェ ニキア人・ヘブライ人が 活動を開始した。
フェニキア人はシドン・ティルスなどの都市国家をつくり、クレタ・ミケーネ文明がおとろえた後をうけて地中海貿易を独占し、また
カルタゴをはじめとする多くの植民都市を建設した。フェニキア人の文化史上の功績は,カナーン人の使用した表音文字から線状のフェニ
キア文字をつくり,これをギリシア人に伝えて,アルファベットの起源をつくったことにある。
「海の民」とはどんな民なのか?強調された語句ではないが、教科書の本文中にも欄外にも、何の説明も無い。
どの教科書にも共通するが、このあたりだけ「~語派」という語句がよく書かれてる。6ページ前に言語の系統についての一覧 図 に「語派」が書かれているが、初めて教える先生がうっかり飛ばしたりすると、さっぱりわからないことになる。また、たとえ気がつ いていて語派につ いて触れたとしても、それにどういう意味があるのかは、やはりどこにも書かれていない。この後の文明の説明でも語族・語派・語系は使われていない。
ちなみに「海の民」とは、C社の教科書で欄外の説明にあるように、さまざまな民族の混成集団だったと考えられている。もう 少 し詳しく書くと、前13~12世紀頃に地球寒冷化が開始し、その影響でユーラシア大陸北方に住んでいた諸民族が南下を始めた。オ リエント地方でも、西北のバルカン半島方面から諸民族が南下し、玉突き現象でさらなる民族移動が加速した。こうした一種の難 民の 総称が「海の民」。彼らが最終的に向かったのが、最も生活条件が良かったエジプト~シリアにかけての地帯。これは現在、政治混乱 が続くアフリカや中南米の人々がヨーロッパやアメリカに難民が押し寄せるのと似た現象である。
「語派」が触れられているのは、この時代さまざまな民族集団がいたが、それがいくつかの大きなグループに分けられることを 表 現したということだろう。また現在ではアラビア語とイラン語で統一されているこの地域に、さまざまな言語があったことも表現した いのだろうか。ほとんどの高校生にそんな知識があるとは思えないが。何にしても今の高校生に対し、あまり積極的に触れる必要 は無 いのでは ないだろうか。触れる必要があるのなら、その説明がどこかで必要だろう。
他の教科書にも共通するが、用語について混乱が生ずるような本文・資料間の微妙な差異や説明が無い状況が散見される。入試 で 必要だとしたら、説明は必要だろう。
■B社
前13世紀になると,オリエントでは民族移動がはげしくなり,それとともに鉄器が普及した。東地中海の沿岸地域では,「海の民」
とよばれる人々が破壊と略奪をくりひろげ,広い地域が混乱した。エジプトとメソポタミアにはさまれたシリアには古くからセム語系の
人々が住んでいたが,前 12世紀ごろから,彼らのなかでも勢力をもつ民族があらわれた。
フェニキア人はシドンやティルスなどの港市国家を拠点に、東地中海の商業交易にたずさわった。やがて西地中海にまで進出し、北ア
フリカからイベリア半島にかけて多くの植民市を建設した。なかでもカルタゴの発展はめざましく、やがて母国から自立することになる。
このような交易活動にともなう通信や簿記のために、フェニキア人は簡便な表音文字であるアルファベットをつくりあげた。
やはり「海の民」について説明が無い。また、この教科書は本文では「語系」を使っているが、数ページ前の言語集団の説明で は 「語族」を使用している。両者の違いについては説明が無い。
この教科書では、古代オリエントにおける鉄器の重要性について、本文で強調されている。ただ、今の高校生にはなぜ鉄器が重 要 なのかや、青銅器と鉄器の差が明確にわかるのか、疑問がある。
ここの部分については、説明が簡素なのでわかりやすいだろう。ただ、いきなり「簿記」が出てくるが、商業科の生徒なら分か る だろうが、普通科の生徒にはわからないだろうし、世界史Bは商業科はやらないだろう。
■C社
前15世紀から前12世紀にかけて,エーゲ海域の諸国家と東地中海沿岸の小都市国家群,その背後のヒッタイト・ミタンニ・エ
ジプ
トなどの大国の間では,さかんに朝貢や通商がおこなわれ,複雑な国際関係が展開した。しかし,前12世紀には新たな民族移動がおこ
り,「海の民」とよばれる荒々しい民族がヒッタイトを滅ぼし,エジプトをも後退させた。一 方,バ ルカン半島にはギリシア人の一派
の ドーリア人が
南下し,あい前後してミケーネ諸王国は崩壊した。地中海東岸のシリア・カナーン (現在のパレスティナ)には,いくつかの
民族が小国家を形成していたが,ヒッタイトやエジプトの勢力が 衰えると,その支配をのがれて独自の発展をはじめた。
セム系のフェニキア人は、前2000年紀にはウガリト・テュロス・シドンなどの都市国家を形成して隊商と海上交易で繁栄し、西の
地中海にもひろく植民活動をおこなった。この地域では商業活動の必要から,エジプトやシナイ文字の影響下に、実用的な文字が発明され
た。フェニキア文字は表音文字アルファベットで、ギリシア文字にも影響を与えた。
この教科書には「海の民」の説明が欄外にある。説明では「海の民は、民族系統は不明だが、バルカン半島などへの民族移動の 圧 力を受けて移住した地中海地域先住の民族であると思われる。この海の民が、ミケーネ王国を攻撃し、滅ぼした、と言う説もある。」 となっているが、前段の文がよく分からない。
この教科書はとにかく用語が多く、目がクラクラする。用語が多いため「入試対応」としては完璧そうに見えるが、一文一文に さ らなる解説が必要。本文だけで理解するのは困難だろう。
■D社
シリアとパレスチナは,メソポタミアから地中海・紅海・エジプトへ通じるルート上にあり,また良質なレバノン杉の産地とし て, シュメール人やアッカド人の時代から交易の拠点が形成されていた。前12世紀ごろ,「海の 民」 が来襲しヒッタイトを滅亡に追い込みエ ジプトを弱体化させると,セム系の諸民族が興隆した。
この教科書にも「海の民」の説明がある。「前13~12世紀にエーゲ海方面から東地中海一帯に来襲した諸民族の集団で、言 語 系統は不明である。」と説明されている。謎の集団が王国を滅ぼした、ということになり、わかりにくいだろう。
世界史の教科書には、昔からこうした「不親切さ」が多かったと思います。それが伝 統でした。おそらく文 の表記法は昔とそうは変 わって いないでしょうが、高校生は変化していきます。年々教科書中の用語は、例えば「簿記」のように、時代の変化もあって理解が難しくなっていると思われます。 それは社 会の変化を反映したものであるので、不可避でしょう。ならば、教科書の側が変わらねばならないはずです。しかしそれは、現状は困難です。私も10数年前 から教科書会社の営業の方に訴え続けましたが、何を言っているのかさえ理解してもらえなかったことが多かったです。教科書とはそ うい うものだと思われている のかも知れません。
そこで書き始めたのが世界史読本です。目的は二つ、世界史を理解してもらうこと と、入試に対応できるようにすることの両立です。 それは不可能ではありません。教科書の文体さえ変われば十分可能です。その根拠について知りたいと思われる方は、認 知心理学のページをまず見て下さい。
話を元に戻そう。世界史読本では次のように説明している。
■まず「海の民」については、メソポタミア文明のところで
ようやく最近わかってきたのはそれが当時「海の民」とよばれた勢力だったと言うことである。紀元前13~12世紀頃というのは長
く続いた地球の温暖期が終わり、寒冷化が始まった時期である。このため世界中で北方に住んでいた民族の南方への移住が始まり、それが
玉突き現象的に南方の諸民族を押していった。彼らは生きていくために安住の地を探し、排除しようとする勢力とは戦った。彼らからすれ
ば生存のためだが、向かった先の住民からすれば侵略者でしかない。「荒々しい」「野蛮な」と形容される「海の民」とは、現代の言葉で
言えば、環境難民なのである。
このため「海の民」というのは単一民族や単一勢力なのではなく、複数民族集団の総称らしい。彼らは突然現れ、各国の防衛力の薄い部
分から進入を試みた。戦争なら次の一手が読めるが、無計画な侵入を防ぐのが難しいのは、史上最強の軍事国家である現代のアメリカ合衆
国がメキシコ国境からの難民の侵入を防げない例でもよく分かる。彼らの破壊力はすさまじく、ヒッタイトだけではなく、エジプトでもメ
ソポタミアでも大なり小なり彼らの影響を被っていると言っていい。
教科書なら、「海の民」は一カ所で説明を済まそうとするが、世界史読本はそうしない。関係する部分はそれぞれで記述する方 が 文章として自然で、理解しやすい。また、何回も出てくる方が重要だと理解しやすい。
■次にエジプト文明で
メソポタミアのところでも触れたように、この頃からエジプトには「海の民」の侵入が断続的に行われるようになり、混乱が再び広 がった。彼らはすでにヒッタイト帝国を滅亡に追いやっており、その脅威は証明済みであった。しかし新王国はこの撃退に成功し、「海の 民」の勢力は壊滅する。「海の民」の一部は地中海東岸に定住することとなり、その戦闘性を失っていった。エジプトは平和を取り戻し た。この地中海東岸に定住した「海の民」の一部族ペルシュト族が聖書に登場するペリシテ人であり、今日イスラエルがあるパレスティナ 地方の名の由来となっている。
ここと下のフェニキア人の所では、キリスト教をある程度知っている可能性のある生徒を意識して書いている。「海の民」とペ リ シテ人、そしてパレスティナ地方の関係である。聖書には「ペリシテ人」が出てくる。
■地中海東岸の3民族については
ここまで述べてきたようにメソポタミアとエジプトは、はじめは異なった文明の地域として出発したが、前2000年代からじょ じょに 文明の融合が進んでいった。この融合に大きな役割を果たしたのが、意外にも少数民族の働きだった。地中海東岸地方は、文明の始まりの ところで述べたように、農業をするのは簡単だが耕地が少なく、人口が少し増えると食料が不足する地域だった。そして隣接するのが二大 文明圏のメソポタミアとエジプトである。こうした条件から、この地域に住んでいた民族は、比較的早くから両文明圏の媒介役を果たすよ うになった。すなわち商業民族となったのである。
3民族について、ここで記述する意味を書いている。意図が分かれば理解しやすい。
■フェニキア人については
同じく地中海東岸から活躍したのがフェニキア人である。彼らはヘブライ人が今のイスラエルの地に侵入する以前に地中海東岸地域に
広く住んでおり、ヘブライ人が旧約聖書に記述したカナン人と呼んでいた集団に含まれていた。彼らはアラム人とは異なって海上交易に乗
り出し、地中海のほぼ全域を自らの活動範囲としていた。シドン市やティルス市は根拠地として繁栄し、両市は現在にいたるまで繁栄し続
けている(両市は現在ではサイダ市・ティール市と呼ばれている)。彼らはエジプト文字を変形して、史上最古のアルファベット(フェニ
キア文字)を発明したことが有名である。しかし最近ではエジプト文字が起源かどうかについて議論があるようだ。アラム文字同様、この
フェニキア文字から派生したのがギリシア文字で、さらにこのギリシア文字を変形して作られたのが英語で使っているアルファベットであ
る。
では次は、世界恐慌について比べてみましょう。