まずはこ の記事の写真を見てください。撮影された場所はアフガニスタンです。写真で農民が収穫し ているのは何か分かるでしょうか。実は麻薬の原料であるケシの収穫の写真なのです。
アフガニスタンと言えば、一般的
にはアメリカ軍やイギリス軍が戦っている国として有名ですが、他にも知る人ぞ知る世界的に有名な麻薬アヘンやヘロインの大産地です。
今の世界の9割がこの国で生産されています。写真にあるようなケシ(漢字では芥子または罌粟)の、熟しきってていない
実の部分から抽出した白い液体を煮詰めたものがアヘンで、純粋な成分だけを抽出したものがヘロインです。
アフガニスタンは山岳地帯にあ り、国土の大半は標高1000メートル以上です。アフガニスタンを形成している民族の中で最大のものはパシュトゥーン人で、その別名 がアフガン人です。図のように、現在のパキスタン、アフガニスタン、イランにまたがって住んでいます。このように分かれている原因 は、おきまりの19世紀のイギリス支配時代の恣意的な国境策定によるものです。

アフガニスタ
ン周辺の民族分布
山岳地帯ということは、農業には 不向きです。アフガニスタンはしばしば「古くからの交通の要衝」と表現されます。ここの人々が数千年前から交通の要衝に適した通商と 交易という生業を選んだのは、農業に不向きな土地であり、そして南のインド、東の中国、そして中央ユーラシアのオアシス地帯に接した この地で文化的な生活を送るための最良の方法だったからでした。こうした状態はモンゴル帝国時代まで続きます。
しかし13世紀以降世界の一体化
が始まり、インド洋~大西洋を中心に大航海時代が始まると、相対的に陸上交通の要衝という価値が低下してしまいます。また、19世紀
になってこの地方がグレートゲームの焦点になり、紛争が多発するようになると重要性は低下する一方になってしまいます。紛争地帯とな
れば、落ち着いて交易などできるものでもありません。となれば、やはり農業を重視せざるを得ません。しかし米や麦、ジャガイモやトウ
モロコシといった他地域で栽培される作物は、残念ながら高地が多く雨の少ないこの地に不向きでした。
通常の作物が作りにくいこの地
で、比較的栽培が容易で換金性が高い作物がケシ、つまりアヘンの原料作物の栽培でした。そしてこの地のケシに焦点が当たったのは、
20世紀も終わりになってからです。
1979年にソ連軍が突如、アフ
ガニスタン侵攻を開始します。この国の親ソ政権を援助するという目的でしたが、予想が外れて長期化してしまい、莫大な予算を費
やしたにも関わらず失敗してしまい、これが結局ソ連を崩壊させる大きなきっかけの一つとなってしまいました。そのソ連軍が勝利を確信できなくなった頃か
ら、泥沼の戦場に嫌気がさした兵士達の中に厭戦気分が広がり、麻薬がまん延し始めたのです。これ以後アフガニスタンにおけるアヘンの
生産は
次第に増加し、東南アジアのタイ・ミャンマー・ラオスの国境地帯「黄金の三角地帯」と並ぶ産地となってしまいました。ソ連軍はゴルバチョフ時代になって
1988年に撤退します。

ソ連支配時代--------→軍閥抗争時代--→タリバン時代----→アメリカ軍政時代-----→
世界とアフガ
ニスタンのアヘン類の生産量(国連薬物犯罪事務局UNODCのデータ
Transnational_drug_market_analysisより)
その後、アフガニスタンではソ連 軍を撃退した武装した部族長らの仲間割れで泥沼の抗争が始まり、それに嫌気をさした民衆の支持で1996年にイスラーム原理主義に基 づく厳格な支配を行ったタリバン政権が成立します。その時、一時アヘン生産が非イスラーム的と言うことで禁止されたことがありました が、結局ケシに代わる作物 が見つからないため、黙認されることになりました。この状況は2001年のタリバン政権の崩壊後も続いており、皮肉なことにタリバン時代によってほどほど に抑えられていたアヘン生産が、グラフの ように政権崩壊後には生産量が激増しています。
国連の推計では、2005年のア
フガニスタンのGDPの50%あまりの27億ドルをアヘンや
ヘロインなどの輸出が賄っており、復興途上のアフガニスタン人の生活が成り立つ上で、無くてはならないものとなっています。しかし同時に、アフガニスタン
産のアヘンの世界のシェアは90%以上を占めており、毎年数万人の犠牲者を出してもいるのです。
世界は彼らアフガニスタンの農民 に、ケシの栽培を禁止すべきでしょうか。禁止されれば、彼らはここでは生きていけないでしょう。現状ではたちまち数万人が飢えること になるでしょう。そんな中では、軍の報道官 James Appathurai 氏が2010年にジャーナリストに語ったように
“We cannot be in a situation
where we remove the only source of income for people who live
in the second poorest country in the world without being able
to provide them an alternative. That is simply not
possible.”(我々は世界第二の貧困国(アフガニスタンのこと)の人々の唯一の収入源(アヘンのこと)に代わるものを用意できなかった。そんなこ
とは純粋に不可能なことだったのだ。)
有名になった日本人の中村哲医師の活動などは貴重な取り組みで、将来的にアフガニスタンを正しい形で復興させる大きな手段ですが、政府が弱体で戦闘が続く現状では、まだ決定打になるにはほど遠い状況です。
アフガニスタンについてこれだけ 書かれてあれば、いろいろ考えることができます。資料がさまざまにあるからです。そしてこれくらいの詳しさなら、「現代社 会」の教科書に載っていてもおかしくないものでしょう。別に世界史の教科書が詳しさを遠慮する必要は無いのです。
先のグラックス兄弟の改革、そし
てこのアフガニスタンの麻薬問題のように、状況が分かるように書かれた教科書、現代を理解する上で役に立つ教科書こそが覚えやすい、
入試でも役立つ教科書です。もちろん論述問題対策などには最適な教科書です。
世界史読本には こういう話が満載されています。たしかに読本は、入試のために書いたものですが、それは入試勉強をやるのと同時に、世界が理解できるようになり、世界に興味を持てる人になってようにもらうようにするのが目的となっています。これらは両立は十分可能ですし、それこそこの教科の本来の目的ではないでしょうか。
誤解の無いよう書いておきますが、このサイトは教科書を無くせ、と言っているのではありません。教科書をどうすれば良いのか、と いう事を言いたいのです。このサイトで最初のページに書いたように、日本の教科書は内容において世界でもトップクラスなのは間違いありません。その唯一最大の問題である「文体」「文の書き方」について指摘しているだけです。『世界史読本』は、その具体的な代案ということです。
今の世界史の教科書や授業について、「苦役への道は世界史教師の善意でし きつめられている」(小川幸司氏,『歴史学研究』2009年859号(増刊号))でも「暗記地獄」と表現されており、一般的に信じら れている世界史の学習法は確かにそうだと思います。ですが、それはもともと今の教科書が覚えるのに不向きな文体や構成で書かれているからなのです。
今の教科書の基本的な姿は1949年にできあがりました。それ以後も、構成が変わったり、概念の整理や用語の充実が図られ、世界的に見ても非常にバランスの取れたものとなっていると言って良いでしょう。なのに、学習者に興味を持たせる、やる気を出させ るという点においては未だ成功しているとは言えないでしょう。もう21世紀に入り、10年以上がたちました。そろそろ世界史の教科書も新しい段階に入るべきです。